院長紹介

院長紹介
医療法人幸泉会、理事長の吉田裕幸

医療法人幸泉会、理事長の吉田裕幸です。

生まれ育った、大好きな山形で「温泉のような歯医者」を目指しています。ほっと安心できて、心も身体も癒され、人と人のつながりも広がっていく歯科クリニックです。

そんな場所づくりのため20年以上、治療の質の向上、予防歯科、1人1人とのコミュニケーションとオーダーメイド医療を大切にしてきました。

上山市だけでなく、南陽市、高畠町、山形市からもご来院いただいていますが、各地 で進む高齢化への対応、最新機器導入も行ってまいりました。 子供から大人まで安心して通えるように「痛くない治療・予防」もこだわっています。

これからも、医療法人幸泉会の名に恥じぬよう、みなさまの健康と幸せの「源泉」となる歯科医院を目指してまいります。まずは、どんなことでもお気軽にご相談ください。

自己紹介

趣味
海水魚(アクアリウム)、ドライブ、登山、スキー、妻とお出かけ、娘とコンサートに行くこと
動物占い
まっしぐらに突き進むゾウ
血液型
A型

略歴

  • 1995年 日本大学松戸歯学部卒業
  • 1995年 医療法人三規会 川中歯科医院 勤務
  • 2000年 吉田ひろゆき歯科医院 開業
  • 2022年 医療法人社団幸泉会 設立(法人化)

セミナー・所属学会等

  • 国際口腔インプラント学会所属
  • アストラテックインプラントベーシックコース
  • AQBインプラントセミナー
  • 村岡秀明総義歯セミナー
  • エルバ臨床実践3ヶ月コース(歯周治療)
  • GCホワイトニングセミナー
  • 床矯正研究会セミナー  ※その他、多数修了

幼少期

野球が大好きだった父親は、地区少年野球の監督をしており自分が小さい頃、日曜日の朝になると五時に起こされ、一緒にキャッチボール、ノックなどをしてもらった記憶があります。また、巨人ファンだった父は巨人が試合に負けたりすると自分のチームが負けたのと同じぐらい悔しがっていました。「熱いおやじ」という言葉が似合っていました。また、父親の働いている会社にも野球チームがあり、弟とよく応援に行きました。

公務員をしていた母親は、毎日が忙しく、とても厳しい母親でした。ちょっと具合が悪くても学校に行かされ、お陰で小・中学校の出席率は100パーセントに近い数字でした。私の中ではかなり辛い思い出です。

その反面、授業参観、運動会、イベントがあると必ず来てくれて、親の出し物は率先して出てくれて、誇らしく思っていた記憶があります。両親にはとても感謝していますし、心から尊敬しています

この頃の私は、あまり積極的ではないところがあり、テレビを見たり弟とプラモデルなどをするような子供でした。近所の友達が「野球しようよ」と誘ってくれても「テレビ観たいから、いかないよ」と、いった具合に家にいることが好きでした。

しかし、その当時魚釣りが大好きで、よく川や沼に行って釣りをしていました。他には裏山に探検などに行ったりして昆虫採取なども行っていました。その時に親類の同年代の男の子とモデルガン(おもちゃ)を持って裏山に行きお互い隠れながらサバイバルゲームをしていると、自分の居場所がわからなくなり遭難しかかったこともありました。好きなことは率先して自分から行い、いやなことはしない、というはっきりした子供だったそうです。

小学校~高校時代

小学校時代、あまり体を動かすことが得意ではなかったのですが運動系には入りたくて、噂でも「一番楽だ!」と聞いていた卓球部に入部しました。しかし…。

顧問の先生が突然変わって、驚くほどハードな部になってしまい、他の部活の友達は「また卓球部、ランニングしてるよ!かわいそうに」と言われるほどスパルタの日々を送っていました。その為、家に帰ると倒れるように夕ご飯も食べず寝てしまう毎日でした。その結果、成長盛りのはずが体重減少!今までの中でその三年間は一番運動した時期となりました。

高校生の頃は、バンドブームで、時間があったらバンドの練習を行ったり、ライブに行って遊んでいました。二年生の後半は勉強を教わるために、職員室に入り浸っていました。そんな高校生活は、とても楽しい日々でした。

大学時代

大学時代の一番の思い出は、5年生の実習の事です。私のグループは変な団結力があり、プライベートでも常に一緒に行動していました。その時、矯正科に残っていた先生たちにとてもかわいがってもらいました。よく飲みに連れて行ってもらったり、勉強も教えていただきました。

当時はよく朝まで飲んで二日酔いで授業を受けた記憶があります。とても面白い先生達で「こんな先生たちと卒業したら自分も矯正科にのこって勉強したいな。」と思うほどでした。

国家試験~勤務医時代

人生で一番苦労したのが、歯科医師国家試験の受験でした。当時の私は、合格するために藁をもすがる思いでした。精神的に弱く、すぐ現実逃避したくなり「どうすれば逃げられるだろう?」「どうすれば合格できて、今苦しまなくても済むだろう?」などとずっと考えていました。

しかし、その年は当院の歯科衛生士である私の妻も看護婦の国家試験があり、一緒にいる時間も多かったので、気分転換にドライブに行ったり、お互いに励まし合いながら、一緒に乗り越えることができました

勤務医時代の一番の思い出は、虫垂炎になって死に直面したことです。

ある日の朝、吐き気と腹痛で目が覚めました。しかし、我慢して出勤すると周りのスタッフから「顔色が悪いよ、ジャンプしてお腹痛くない?盲腸?」といわれジャンプすると腹部に激痛が!すぐ院長に状況を説明し病院へ直行。即入院、即手術。しかも、それで終わりではありませんでした。その手術を新人のドクターが行っため、医療事故並のトラブルに見舞われてしまい、約1ヶ月の入院生活を余儀なくされてしまったのです。この時は、本当に死の危険があるほどの大騒ぎでした。

私が入院をしている間、自分の担当患者様や他のドクターに沢山の迷惑をかけてしまいました。その時に健康のありがたさ、周りのスタッフのありがたさに気づきました

開業のきっかけ

「長男なので、いつか山形へもどって両親の面倒を見ないといけない。」といった漠然とした気持ちがありました。

そんな想いを持っていた勤務医時代、結婚し、子供が生まれ、子供が成長するにつれ、「自分が育った自然のいっぱいある山形で過ごさせてあげたい」と思うようになりました。

そんな時、先輩の歯科医院に遊びに行きました。その先生はとても活き活きと仕事をしているように見え、「忙しいし自分の時間はあまり取れないけど、充実しているよ!」と話してくれました。そんな姿を見て「自分も勤務医をそろそろ卒業し、自分が理想とする医院を作りたい!」という気持ちが芽生え、家族の為にも思い立ったら即実行!ということで、現在の地に開業をすることになりました。

患者様への想い

私は、患者様と街であったら「どうですか?お口の状態は」などと気軽に会話ができ、また、患者様が知人に紹介したくなるような、信頼される歯科医院・歯科医師となりたいと思っています。

医院の中でも先生と患者様という立場に違いはありますが、できたらお口のことだけでなく、日々の生活の話題なども気兼ねなく話せる関係になっていければと思います。

また、診療に関しては、

子供は絶対泣かせない』 『患者様が納得できてから治療を始める』 『分かりやすい丁寧な説明

というこだわりがあります。こんな想いを持って、日々診療させて頂いております。お口の健康を通じて、皆様の人生を豊かにするお役に立てれば嬉しく思っております。虫歯になる前でも、どうぞお気軽に当院へお越しになって、お口のケアをして下さいね。

あなたと当院でお会いすることを楽しみにしております。